先週から今週にかけてお越しの皆様と 〜Tシャツのご縁と5年越しのご縁〜

先週から今週にかけていらっしゃったお客様を久々にご紹介します。


6月23日(金) 伯耆大山Tシャツの集い

歩荷を終えて小屋に着いたら、

「あれ!そのTシャツは⋯!」

とお互いに驚きました。


伯耆大山は私の地元の山で、思い入れもあるので、どうしても反応してしまいます(笑)それにしても、まさか鳳凰三山で伯耆大山Tシャツが3人うとは…。


山陽から遥々お越しいただき、ありがとうございました!今度地元に帰ったら、大山Tシャツの新色を買いに行ってみようと思います。


6月24日(土) 5年越しのご縁

本多さんご夫妻と。5年前に鳳凰小屋にお泊まりになったお兄さんから紹介されていらっしゃいました。


「初ワインで乾杯」

↑お兄さんの吉田秀二郎さんが登場するブログ記事はこちら。おヒゲの似合う素敵な方です。


先週末は忙しく、あまりゆっくりとお話する余裕が無かったことが心残りです。鳳凰小屋での時間と翌朝の鳳凰三山の展望を楽しんでいただけていたらいいなぁ。


本多さんは秀二郎お兄さんとはご一緒に登山されるのでしょうか。機会がございましたら何とぞよろしくお伝えください。訪ねて来てくださってありがとうございました☺️


6月28日(水) 鳳凰三山Tシャツ4人娘

お揃いの鳳凰三山Tシャツを買ってくださった仲良し4人娘さんです。


お仕事は皆さん助産師をされているそうで、熱心に(山の)布教活動をした結果、職場に10人も山仲間ができたそうです。(すごい…!)


仕事柄、いつも「山登り」を「お産」にたとえてしまうそうで、「ここの急登はまだ陣痛の段階」とか「登頂は出産!」と思いながら登っているとのことでした。

荷物の重さも、「胎盤が約500gだから、このインナーシーツ400gは…。思ったより重くない!」という感じ。

いつも命を掬い上げる大切なお仕事、お疲れ様です。


お姉さんのお一人は、3度目の鳳凰三山でまだ一度も北岳を見たことが無いと仰っていましたが、翌朝はリベンジ成りましたでしょうか。

機会がありましたら、報告がてらお仲間さんと談話室のランプの灯を眺めにいらっしゃってください。



(あおと)




50年前の鳳凰三山の写真

↑50年前、1972年(昭和47年)頃の4月の鳳凰三山の写真を頂きました。@薬師岳山頂


↑地蔵岳山頂からの北岳


↑甲斐駒ヶ岳(右奥)と仙丈ヶ岳(左奥)


↑地蔵岳と山頂に立つ平本さん


写真をくださったのは、先日お泊まりの平本様。写真の当時は22歳、今は72歳で、半世紀に渡って山登りを続けていらっしゃるそうです。 


貴重なお写真をありがとうございました。



アオト

約70年前の鳳凰山について調べてみました

一つ前のブログの話がキッカケになり、昭和30年代、約60〜70年前の鳳凰山について調べてみました。


参考資料は、

昭和36年初版『南アルプス北部アルパインガイド』(山と渓谷社)


これに加え、鳳凰山の生き字引きであり、昭和34年から鳳凰小屋を営んでいる細田オーナーの証言を元にしました。


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〜昭和30年代、日本に一大登山ブーム到来〜


(撮影者…細田芳三さん、細田倖市オーナーのお父さんです)


昭和30年頃は、戦後10年が経って日本が復興を果たし、多くの若い人が山に向かうようになった時代でした。

すでに昭和20年代後半から大学山岳部や社会人山岳部が覇を争い、国内の難ルート初登頂を競い合うように登っていました。

しかし、「登山はあくまで時間とお金に余裕のある富裕層の楽しみ」というのが当時の常識。戦前から昭和20年代にかけて、登山は誰もが趣味にして楽しめるものではありませんでした。


この流れが大きく変わったのが昭和31年(1956)。日本隊のマナスル世界初登頂の偉業に日本中が沸き立ちました。豊かさを取り戻しつつあった当時の日本で、多くの若者たちが山に向かうようになり、第一次登山ブームが訪れました。


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〜昭和30年代の鳳凰山登山〜


(賽の河原からの甲斐駒ヶ岳。上記書籍より引用)


現在の鳳凰三山はマイカーや公共交通機関で手軽に登山口まで入れますが、当時は登山口まで通じる車道はありませんでした。


登山者は初日に最寄り駅(韮崎・穴山・日野春)を降りて歩き出し、平川峠か鳥居峠を越え、3〜4時間ほどかけて登山口の御座石鉱泉・青木鉱泉へ到着。そこからやっと現在と同じ登山が始まって、5〜6時間かけて鳳凰小屋に一泊。

二日目は、三山を縦走して夜叉神峠から芦安まで約2時間歩き、芦安でバスに乗って帰っていたようです。


今の行程よりも計5〜6時間長い道のりですが、多くの方が今と変わらず1泊2日で山行を終えていたそうです。当時の方々の健脚ぶりが伺えます。


その後、昭和36〜37年頃になって、穴山駅から御座石鉱泉にバスが走るようになったそうです。


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〜(おまけ)北岳への最短ルートは鳳凰山越え?〜


南アルプス最高峰の北岳は、昭和20年代までは鳳凰山を越えて行くのが最短ルートでした。

初日は↑と同様に駅からスタートして鳳凰小屋泊。二日目に赤抜沢ノ頭を越えて早川尾根に入り、高嶺から白鳳峠を経て広河原へ。登り返して白根御池小屋まで登り返して二日目終了(強い人は山頂を越えて今は無き北岳小屋まで)。三日目に山頂をピストンした後は同ルートを戻る。計5日の行程でした。


これが昭和30年秋には野呂川林道の夜叉神トンネルが開通。かつて1日かかった道のりがバスで約1時間にまで短縮されました。これに翌年のマナスル登頂→登山ブームが重なり、北岳に多くの登山者が訪れるようになったようです。


戦前の登山の名著である松濤明『風雪のビヴァーク』には、ドンドコ沢をピストンして、北岳に登る記述が出て来ます。

交通網が未発達だった当時の人々が鳳凰山から北岳を望み、さらにその頂きに立った時の感動は如何ほどのものだったろうかと、そう想いを馳せずにはいられません。



※続く

次回は〜昭和30年代の鳳凰小屋篇〜を書けたらと思います。あまり期待せずにお待ちください。


(アオト)

約70年前の鳳凰山地蔵岳と登山バッジ

大変貴重なお写真を、静岡県清水市よりお越しの田中様より頂戴しました。


昭和30年頃の地蔵岳です↓


撮影されたのは、田中様のお母様で、登山をされていた若い時に鳳凰三山を訪れ、フイルムカメラで撮影されたのだそうです。


(ちなみに今の地蔵岳はこちら↓)


当時お母様が購入された、という登山バッジもお持ち下さっていました↓


(ちなみに今の登山バッジ(ホウオウシャジン)はこちら↓)

旧バージョンのバッジ、素敵ですね!


70年前を偲ぶ、貴重な機会をありがとうございました😊🙏



(チーフ改めアオト)

安涼奈さんに鳳凰小屋を動画でご紹介いただきました

安涼奈さんに鳳凰小屋を動画でご紹介いただきました。

よく笑いたくさん話す、山での時間&山での出逢いが好きなことが自然と伝わってくる、とても素敵な方でした。



↓動画はこちらから

https://youtu.be/OI0sj4rUHPg


とても楽しく分かりやすく、鳳凰小屋の魅力をお伝えいただいています。


山小屋に泊まったことがなくて、小屋泊に不安のある方にもオススメですよ。


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【動画を観た方の感想】

ひと足先に友人や小屋の仲間に観てもらいましたので、感想を紹介します。


「小屋の中の様子までよくわかって良きでした◎カレーもおかわりして、一泊して帰ってきた気分になれました。マイカップで飲む水出しコーヒーも素敵。」


「この方のファンになりました○

出てくるもの全てがステキ✴︎」


「良い!良い!可愛い人ね❤️」

「可愛らしい方ですね✨」


「洗濯物があちらこちらにあるのも…笑」


「鳳凰小屋が紹介されて、とても嬉しいです!」


「(スタッフのみなさんの)生存確認ができてよかったです!」

「お元気そうで何より!」


など、軒並み好評です◎


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また、極めて私事で大変恐縮なのですが、

山を登らない家族や友人にこちらの動画を紹介できて、大変助かりました🙏


山をやらない者にとって、山小屋は未知の世界。

「うちの息子は山の上で元気にしているだろうか」

「(チーフくんは)仙人を目指しているらしい」

などと心配されていましたので...😅


ぜひぜひご覧ください😄


(チーフ)

芸術は掘りごたつから生まれる?

鳳凰小屋名物、談話室の掘りごたつ。

いつもお客様の団らんの場になっています。


仕事・年齢・住んでいる場所が全く違う人同士でも、なぜか山ではそういう垣根を取り払って言葉を交わすことができる。


そんな山らしさが凝縮された、昭和レトロな部屋です。




5月21日(土)

この日、談話室にいたのは、

⁡筆と硯(すずり)で五色の滝の水墨画を描くヒロテツさん(左)⁡⁡と⁡
⁡色えんぴつで鳳凰小屋の窓辺の風景を描くタクヤさん(右)⁡。⁡
⁡⁡

⁡鳳凰小屋に8年ほどいますが、スタッフ以外で絵を描いている人を初めて見ました。



集中した、楽しそうな姿の2人。巧拙がどうでも良くなるくらい、ぜいたくで豊かな時間の使い方だなぁと感じました。
⁡⁡⁡⁡
ワンオペの日だったので手が離せず、ゆっくりと絵を見せていただけなかったのが心残りです。⁡⁡

⁡⁡カメラマンの⁡タナシンさん(中央)もありがとうございました。⁡

⁡ぜひまた遊びにいらっしゃってくださいね!



(チーフ)

甘利山から強者、登場。

昨日、お泊まりのサエグサさんです(写真左)。


韮崎駅〜甘利山〜千頭星山〜大ナジカ峠〜苺平〜薬師岳〜観音岳と歩いて、鳳凰小屋までいらっしゃいました。


ルートがこの時期にしてはマニアックなので、ちょっと強者感が伝わりにくいかもしれませんが、


千頭星山〜苺平は、ノートレース(踏み跡なし)。特に苺平直前のトラバースは、腰まで埋まる猛ラッセルが続きます。


道無き道を一人切り拓くのが大変でもあり、春山の醍醐味でもある。そんな滋味深いルートです。


しかも韮崎駅からロードを歩いた後、荷物もしっかり持っての達成はお見事。


私も四十貝山(しじっけぇやま)という超マニアックな山を登った時にその部分を通りましたが、苺平についた途端、トレースが踏み固まり高速道路に乗ったかのような安堵感と達成感を覚えたことが鮮明に記憶に残っています。


(カモシカの子ども2頭が、こちらに気づかずズドドドドッと突進して来て、あわやぶつかりそうになったりしたのもこの山行だったなぁ。)


ちなみにサエグサさんは、今朝地蔵岳で日の出を見て、あっという間にドンドコ沢コースを下って行きました。


朝方は雪がしまっているので、踏み抜きもほとんど無かったことでしょう。

(※ただし、日中はめちゃくちゃ踏み抜きます。今年は開通が遅いので、誰か早く開通させてくれないか、というのが小屋番の正直な気持ちです。)


鮮やかな山行、お疲れ様でした。また機会があったら、のんびり遊びに来てください。



(チーフ)

初めてのほおずき

高見石小屋の木村さんより食用ほおずきをいただきました


鳳凰小屋メンバー初めてほおずきを食べましたが、とても美味しくて皆びっくり!


今度は鳳凰小屋の星を観にいらしてください

お待ちしております


ころ

原田さんファミリー

梅雨の晴れ間にいらっしゃった原田さんファミリーです。


ドンドコ沢から、ズンズン元気な子どもたちが登ってきました。少し休んでから稜線に出発。なんと一泊二日で三山を制覇するんだから驚きです。


夕ご飯には、もりもり食べます。

元気やなぁ〜!


下山日にも、もう一度登っていました。それにしてもいい顔をしているし、いい写真です。お父さん、さすが!

小学四年生と五年生の仲良し兄弟です。

お父さんと一緒に山登り、羨ましいなぁ。家族の時間を少し分けてもらったような優しい気持ちになりました。

またどこかの山でお会いしましょう!


原田さん、写真ありがとうございました。

ぜひ皆さんも、ご家族で!

お待ちしております。



紅葉と差し入れと作業と。


こんにちは🌞


トミタです。






紅葉真っ盛りの鳳凰小屋では、只今作業が進行中です。



台風一過の好天の中、屋外の作業が捗ります。


(写真はベンチに防腐剤を塗るアオトさん。)




そして、嬉しい事に差し入れをいただきました!



常連の福島のサトウさんからは、どっさりとスイーツをいただきました。


なんと、焼き芋セットまでついています。


嬉しい心配り、ありがとうございます!





小屋にお泊りいただいた、滋賀のお客さんからは高級バームクーヘンを!


食べる時が非常に楽しみです。


ありがとうございます!





最後は長坂の一流蕎麦屋さんの、翁の大将から。


美味しいお蕎麦と、おツユをいただきました!


大切に、おいしくいただきます!




毎回、皆さんのお気持ちが大変嬉しいです。


ありがとうございます!




今はちょうど、小屋付近の高さが紅葉の見頃です。


カンバの輝くような黄色と燃えるようなナナカマドの赤。


これを見逃す手はありませんよ!



ぜひぜひお越し下さい。


それでは!




(いらしっしゃる際にはこちらをご一読下さいね。↓

http://blog.houougoya.jp/?eid=1214883


ドンドコ沢の状況はこちらをチェックです。↓

http://blog.houougoya.jp/?eid=1214952 )




                トミタ